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번역 [번역연습] 心霊現象と科学 심령현상과 과학 3/3

Moderator norizi
2020-11-20 21:31:39 382 0 1

https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/card59195.html



 私は此処で、この『心の領域』の問題を批判することは出来ない。


  나는 여기서 이 '마음의 영역'의 문제를 비판할 수는 없다.


 その理由は、原著を見ていないので、このリーダーズダイジェストの紹介の記事だけでは、批判するだけの材料が揃っていないからである。


  그 이유는 원저를 보지 않아서, 이 리더스 다이제스트의 소개 기사만으로는 비판할 정도의 재료가 갖추어지지 않았기 때문이다.


 しかしこういう問題に対して、科学がどういう態度であるべきかということだけは言える。もっとも以下の説明は、リーダーズダイジェストの記事を基礎としての話であって、その記事が原著の意を十分に伝えていない場合は、話は別である。その点はお断りしておく。


  하지만 이런 문제에 대해서 과학이 어떠한 태도를 취해야 하는가는 말할 수 있다. 다만 이하의 설명은 리더스 다이제스트의 기사를 기초로 한 이야기이며, 그 기사가 원저의 뜻을 충분히 전달하지 않은 경우에는 이야기가 다르다. 이 점은 미리 양해를 구한다. 


 いわゆる心霊現象については、科学は無関心でいてちっとも差支えない。それは完全に場ちがいの問題であるからである。特にいわゆる心霊術師の場合に、そういう問題を一々とり合っていては、科学者は身体がいくつあっても足りない。ただ明治時代の千里眼事件のように、社会的弊害が著しくなった時には、社会人の一人として立ち会う義務があるだけである。


  이른바 심령현상에 관해서 과학은 무관심으로 있어도 전혀 지장이 없다. 그것은 완전히 어울리지 않는 문제이기 때문이다. 특히 소위 심령술사의 경우에, 그런 문제를 일일이 상대해 주다가는 과학자의 몸이 몇개가 있어도 모자라다. 다만 메이지 시대의 천리안 사건과 같이 사회적 폐해가 두드러질 때에는 사회인의 한사람으로서 맞설 의무가 있을 뿐이다.



   心霊学はいまだ将来の問題

   심령학은 아직 장래의 문제


 ところで今度の『心の領域』の場合は、それとは少し話がちがっている。それは学問として登場して来た。少なくとも登場を申し込んで来たからである。それで科学も当然それと協議をする必要がある。協議というのは、取り入れるという意味ではない。科学がこういう問題を何故取り入れないかを論ずる前に、取り入れるべき性質のものか否かを吟味してみる必要がある。


  그런데 이번 '마음의 영역'의 경우는 그것과는 약간 이야기가 다르다. 그것은 학문으로서 등장하였거나, 적어도 등장을 제의하였기 때문이다. 그래서 과학도 당연히 그것과 협의를 할 필요가 있다. 협의라는 것은 수용한다는 의미가 아니다. 과학이 이런 문제를 왜 수용하지 않는가를 논하기 전에 수용할 성질의 것인가 아닌가를 음미해 볼 필요가 있다.


『心の領域』でとり上げた四つの問題、精神感応、透視、予見、精神動力のうち、初めの三つと、最後の一つとは性質が根本的に異なっていることにまず注意する必要がある。というのは、初めの三つは、純粋に精神作用だけのもので、現代の物質科学で取り扱っている範囲外の問題である。それでそういう現象の実在性がもし確立されても、現代の科学には少なくも物質科学には、何の影響もない。精神作用のうちの超感覚的のものを、科学者は電子や原子で説明しようとは思っていないからである。


'마음의 영역'에서 언급한 4개의 문제 - 텔레파시, 투시, 예견, 정신동력 중에서 우선 앞의 3개와 마지막 1개는 성질이 근본적으로 다르다는 것을 주의할 필요가 있다. 왜냐하면, 앞의 3개는 순수한 정신작용이므로 현대 물질과학이 취급하는 범위 밖의 문제이다. 그래서 그런 현상의 실재성이 만약 확립되더라도 현대 과학에는 - 적어도 물질과학에는 - 어떤 영항도 없다. 과학자가 정신작용 중에서 초감각적인 것을 전자와 원자로 설명하려고 하지는 않을 것이기 때문이다.


 ただもしそういう超感覚的現象の研究に、現代の科学の研究方法を導入したいという希望があれば、それに助言を与えることは出来る。たとえば、この記事にある「透視」の実験は、科学の言葉での透視ではないことに注意をうながす必要がある。レントゲン線で透視するような意味での透視の実験にはなっていない。カードの絵を五種類覚えさせておいて、そのどれであるかを言い当てさせるのであるから、これはカードの物質を透して視るのではなく、頭の中にある五種類の図形の像《イメージ》を視るのである。


  다만, 만약 그런 초감각적 현상의 연구에서 현대 과학의 연구방법을  도입하고 싶다는 희망이 있다면 조언을 줄 수는 있다. 예를 들어, 이 기사에 있는 '투시' 실험은 과학적 언어로서의 투시가 아니라는 것을 주의할 필요가 있다. 엑스레이로 투시하는 것 같은 의미의 투시 실험이 아니다. 카드의 그림을 5종류 외우게 하고 어느 것인지를 맞추는 것이니까, 이것은 카드의 물질을 뚫고 보는 것이 아니라 머리 속에 있는 5종류 도형의 이미지를 보는 것이다.


 それでこれは透視の実験ではない。ただその一つを選択した時に、それが現実のカードと一致したら、それは物質と精神との感応を示すことにはなる。そういう作用があることがもし確認されたら、それは興味のあることで、そういう現象をとり扱う別の学問が出来るであろうが、それは現代の科学とは別のものである。


  그래서 이것은 투시 실험이 아니다. 다만 하나를 선택했을 때 그것이 현실의 카드와 일치하면, 그건은 물질과 정신의 감응을 나타내는 것은 된다. 그런 작용이 있다는 것이 만약 확인된다면 그것은 흥미로운 것이며 그런 현상을 다루는 학문이 생길 것이나, 현대 과학과는 별개의 것이다.


 もしその学問で、現代の科学と同じ方法を使いたければ、例えば透視の実験ならば、棒を何本か密閉した箱の中に入れ、その箱を振って、棒がどういう形に組み合わされているかを当てさせるような方法が考えられる。実験者も知らない形であるから、箱を透して視る以外に道が無いわけである。そういう実験が成功すれば、それは透視の実験になるであろう。


  만약 그 학문에서 현대 과학과 같은 방법을 쓰고 싶다면, 예를 들어 투시 실험이라면 막대기 몇 개를 밀폐된 상자 안에 넣고 그 상자를 흔들어서 막대기가 어떤 형태로 얽혀 있는지를 맞추게 하는 방법을 생각할 수 있다. 실험자도 모르는 형태이기 때문에 상자를 뚫고 보는 이외의 길은 없는 것이다. 그런 실험이 성공하면 그것은 투시 실험이 될 것이다.


 実験者と被実験者との精神感応ならば、どういう意識しない表情の伝達とか、癖のつながりとか、記憶の連絡とかいうようなものがあるかもしれないから、それは科学者が立ち入るところまで、まだ問題が形を成していない。


  실험자와 피실험자의 텔레파시라면, 어떤 의식하지 않는 표정의 전달이나 버릇의 연결, 기억의 연락 같은 것이 있을 수도 있으므로, 그것은 아직 과학자가 관여할 정도까지 문제가 형성되지 않았다.


『心の領域』の実験の中で、一番問題になるのは、精神動力の実験である。骸子のころがり方を支配する力は、現在までの科学では機械的《メカニカル》の力ということになっている。それに精神力が作用するとしたら、それは現代科学の基礎をゆるがす大問題である。科学とは別の新しい学問が出来るというような話ではない。しかしこの実験結果の批判は、「何十万回となく実験をやった結果として、われわれは精神が物質の上に働き得る力を持つことは事実であることを発見した」というだけの記事では、どうにも手のつけようがない。


'마음의 영역'의 실험 중에서 가장 문제가 되는 것은 정신동력의 실험이다. 주사위가 굴러가는 것을 지배하는 힘은 현재까지의 과학에서는 역학적인 힘으로 보고 있다. 그것에 정신력이 작용한다면 현대과학의 기초를 뒤흔드는 커다란 문제이다. 과학과 별개의 새로운 학문이 생긴다는 말은 아니다. 하지만 "몇십만회인지 알 수 없을 정도로 많은 실험을 한 결과, 우리는 정신이 물질에 작용할 수 있는 힘을 가진다는 것이 사실임을 발견했다”라는 기사만으로는 아무리 해도 실험결과의 비판에 손을 댈 수는 없다.


 骸子の実験にしても、前の透視カードの実験にしても、科学者の眼からみると、わざわざ問題を複雑にしている傾向があるように思われる。


  주사위 실험이나 앞의 투시 카드 실험이나 과학자의 눈으로 보면 일부러 문제를 복잡하게 하고 있는 경향이 있는 것처럼 보인다.


 例えば二つの骸子の目の合計が七になるような実験を、何万回くり返しても、なかなか確定的な議論は得られない。骸子を手でふる場合は、もちろん人間の癖がはいってくるが、機械でふっても機械の癖がはいってくることは同じことである。


  예를 들어 주사위 2개의 숫자의 합이 7이 되게 하는 실험을 몇만 번 반복해도 좀처럼 확정적인 결론을 낼 수는 없다. 주사위를 손으로 던지는 경우는 물론 인간의 특성이 들어가지만, 기계로 던져도 기계의 특성이 들어가는 것은 마찬가지이다.


 それでもしはっきりした結果が欲しかったら、一つの骸子を一を出したいと念じながら機械で何千回とふってその目の出た回数を記録し、次に三を出したいと念じながら、その同じ機械で同回数だけふってみるというふうにして研究するのが、一番早道である。そういう実験だったら、恐らく結果は出ないだろうと思われる。もしそれが出たら、初めて科学者も、この問題に手をつける義務があるであろう。


  그래서 만약 명확한 결과를 원한다면, 주사위 1개를 1이 나왔으면 좋겠다고 생각하면서 기계로 몇천 번 던져서 그 숫자가 나온 횟수를 기록하고, 다음으로 3이 나왔으면 좋겠다고 생각하면서 같은 기계로 같은 횟수만큼 던져보는 식으로 연구하는 것이 가장 빠른 길이다. 이런 실험이라면 아마 결과는 나오지 않을 것이라고 생각한다. 만약 결과가 나온다면 비로소 과학자에게도 이 문제에 손을 댈 의무가 생길 것이다.


 心霊現象の研究に、従来の科学が無関心であったのは、何も悪意があったわけではない。科学との交渉が今まで不必要だったからである。科学は存在するものを研究する学問で、何が存在しないかには、触れない学問である。


  심령현상의 연구에 종래의 과학이 무관심했던 것은 특별히 악의가 있었기 때문이 아니다. 과학과의 교섭이 지금까지 불필요했기 때문이다. 과학은 존재하는 것을 연구하는 학문이지, 무엇이 존재하지 않는가는 다루지 않는 학문이다.


『心の領域』の研究は、非常に大部なものであり、研究者たちも立派な学者である。それで千里眼や山伏と同一視する非礼を犯すものではないが、現在のところでは、まだ科学がそれに直接たずさわる必要はあるまい。そこまでまだその形がととのっていないような気がする。


'마음의 영역'의 연구는 매우 대규모이고 연구자들도 훌륭한 학자이다. 그래서 천리안이나 수도자와 동일시하는 무례를 범하려는 것은 아니지만, 현재 단계에서 아직 과학이 그것에 직접 참여할 필요는 없을 것이다. 그 정도까지 아직 형체가 갖추어지지 않은 것 같은 생각이 든다.


(昭和二十三年七月)

(쇼와 23년 7월)

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